みなさんこんにちは!鹿児島県共生・協働センター、通称ココラボの情報発信を担当しておりますパッションです!^ ^
ココラボでは『みんなの一歩』と題して、鹿児島県内で活動をされている方に活動の経緯や活動に対する想いなどを記事にまとめて、ココラボに入って左手すぐの壁際に展示しています。
今回は、情報発信編のさんにんめとして、鹿児島市名山町で活動されている門間ゆきのさん(ゆっきーさん)に取材させていただきました。ゆっきーさんは、名山町で『名山新聞』というフリーペーパーを発行されており、昨年度ココラボで開催した『フリーペーパー展』にも出展いただきました。
ゆっきーさんのこれまでの活動や活動のきっかけ、フリーペーパーに関することをたっぷりとお聞きしました。皆さんに、鹿児島でとても素敵な取り組みをされている方を知ってもらうとともに、皆さんの活動を始める小さな後押しになると嬉しいです。
みんなの一歩とは?
鹿児島県内には、多種多様な方々が様々な活動をされています。そしてその活動に至るまでの過程も様々です。
そこで『みんなの一歩』では、鹿児島県内で活動をされている方がどんな想いで活動をしていて、その活動を始めるそもそもの最初の一歩は何だったのかをインタビューしていきます。
みんなの一歩が、皆さんの活動を始める一歩の小さな後押しになるように、そんな想いで始めました。
みんなの一歩〜情報発信編〜 さんにんめ 門間 ゆきの さん
ープロフィールー
1993年、愛知県名古屋市出身。京都大学総合人間学部で社会心理学を学ぶ。就職活動中に「鹿児島ってネタが豊富で面白そう!」と思ったことから、南日本新聞社(鹿児島市)に入社し、記者として働く。鹿児島市名山町の居酒屋との出会いから、名山町に移住し、地域の子どもたちと「名山新聞」を作っている。
2021年にフリーランスとなり、鹿児島市のシティプロモーション事業や九州移住ドラフト会議の企画・運営に携わる。
古民家をリノベーションして名山案内所「めいざんち」を準備中。
めいざんち改修工事には、大工さんや建築士さんだけでなく
施主であるゆっきーさんやその友人などさまざまな人が関わっています
ネタが豊富な鹿児島で面白い記者生活ができそう
パッション:
今日はよろしくお願いします!前職は新聞記者ということで、新聞記者になろうと思ったきっかけは何だったんですか?
ゆっきーさん:
フィールドワークが好きだったので、いろんな所に行って人に会って話を聞くという仕事のスタイルが良いなと思っていました。それができるのってどんな仕事だろうと思って新聞記者を目指したんです。
パッション:
フィールドワークが好きなのはいつからだったんですか?
ゆっきーさん:
高校が理系のクラスで、亀の野外調査があったんです。川にいる在来種と外来種の数を調べるために川の中で亀を捕まえるのがすごく新鮮で、外に出て調べ物をするのがめっちゃ楽しいなと思いました。他にも、高校の地理の先生がすごく旅好きで、いつも授業で旅の話をしてくれる先生だったんです。先生の話を聞いてると教室の中にいるけどいろんな国に行ってるような体験ができました。その2つの経験から、外に出ることや何か探求することと旅が好きになりました。
パッション:
そうだったんですね。鹿児島を選んだ理由ってあったんですか?
ゆっきーさん:
場所にはこだわりがなかったので、色々な新聞社を受けてたんですけど、ある日、南日本新聞を手に取ったんです。大阪に北から南まで地方紙を置いている場所があって、山とか海の話題はどこでもあるけど、離島・火山・宇宙の話題まで載ってる新聞ってあんまりないから、すごいネタが豊富で面白そうだなと思いました。鹿児島に行ったら面白い記者生活ができそうだなと思って南日本新聞社を受けました。
南日本新聞社時代のゆっきーさん。見出しやレイアウトの「編集」の仕事もとても勉強になったそうです
パッション:
たまたま南日本新聞社に出会って、鹿児島に移住されたんですね!
南日本新聞社ではどういったお仕事をされていたんですか?
ゆっきーさん:
2017年から4年間勤めて1年目が編集部、2〜4年目が文化生活部にいました。編集部ではその日どんなニュースを紙面に載せるかや何がトップ記事で何が2番手なのかを決めたり、見出しをつけたりする部署でした。出来事の重大さからランクづけをしたり見出し付けを学びましたね。2年目以降の文化生活部では念願の取材をする仕事で、最初は映画館や音楽関係の担当だったので、鹿児島出身の上白石萌音さんの舞台の取材や大河ドラマ「西郷どん」が放送開始していたので西郷隆盛役の鈴木亮平さんに取材をしました。他にも霧島国際音楽祭など鹿児島の文化芸術系の取材をしていました。3、4年目は保育担当だったので、当時話題だった幼稚園保育園の無償化や児童虐待、保育士不足などを取材してました。
パッション:
おぉ!!有名な方にも取材されていたんですね。
現在活動されている名山町との出会いはいつだったんですか?
ゆっきーさん:
京都から南日本新聞社を受験しに来た時に合計6泊したのですが、その時に名山町近くのイルカゲストハウスに泊まっていて、そこの女将さんに「地元っぽい所で飲みたい」と言ったら、「名山町にある『とくちゃん』に行っておいで」と言われて。行ってみたら明らかに満席でしたが、奥の座敷で飲んでた方々が「ここ空いてるよ」と言ってくれてぎゅうぎゅう詰めになりながらも入れてもらったんです。『とくちゃん』はお店感がないというか、懐かしいおばあちゃん家とか親戚の家に来たような感じでした。オーナーのとくちゃん(80代女性)はお客さんをすごく大事にしてるのが伝わってきたし、お客さんもとくちゃんを大事にしてるというのをすごく感じて。ここ良いなと思って、南日本新聞社の内定が決まった時はとくちゃんに電話して報告しましたね。
とくちゃんでは時々皿洗いを手伝っています
コロナ禍で始まった、自分たちの暮らすまちを見つめる新聞
パッション:
現在は南日本新聞社を退職されて、どのようなことをされているんですか?
ゆっきーさん:
2024年でフリーランス4年目に入りました。仕事は主に2種類あって、ひとつはイベントやワークショップを企画・運営しています。一般社団法人テンラボでは地域づくりの伴走支援のワークショップ、九州地域間連携推進機構株式会社では「九州移住ドラフト会議」や「踊りたくなる九州卒業論文コンテスト」を開催しています。もうひとつの仕事はライターの仕事です。企業や移住者の取材をやってます。仕事以外では名山町の古民家改修をして、まちの博物館とまちの案内所「めいざんち」をつくるプロジェクトをやってます。
「卒業論文を地域課題解決に活かそう!」と呼びかけて全国から卒論を募集しコンテストを開催した
(2022~23年)
パッション:
新聞社を辞めてフリーランスで活動しようと思ったきっかけは何だったんですか?
ゆっきーさん:
新聞では取材をして記事を書くことでその人の活動を後押しすることができるけど、それ以外の方法で誰かの後押しや応援ができるスキルを身につけたい、もっと現場に入りたいと思ったのがきっかけです。
パッション:
そうだったんですね!「とくちゃん」という居酒屋から名山町を知って、名山町で活動を始めるきっかけは何だったんですか?
ゆっきーさん:
最初はただ名山町に住んでいるだけで、近くにとくちゃんがあって行けて嬉しいと思っていたんです。名山町に住み始めて1年半くらい経った2019年に、鹿児島市主催のワークショップ「PLAY CITY! DAYS」に参加しました。自分がやりたいことを提案してプロジェクトにするワークショップだったので、私は名山町のまちあるきマップを作りたいと思って提案したんです。8人くらい仲間が集まって、みんなで取材に行ったりしたので、だんだんと名山町のお店の人と親しくなりました。
それと同時に、町内会に入ったり青年会に入ったりしました。町内会に入ったら、第1日曜の朝は掃除があったりしたので、だんだんと地域の人と顔を合わせる場が増えていきましたね。
鹿児島市のワークショップPLAY CITY! DAYSで名山町のマップを作った際は
まち歩きの達人東川隆太郎さんに案内していただき名山町の歴史を教えていただきました。
パッション:
東川さんは名山町にかごしま探検の会の事務所を構えていらっしゃいましたし、お詳しそうですね!まちあるきマップが完成した後も活動は継続していったんですか?
ゆっきーさん:
まちあるきマップの第2号を作ろうと言ってたけど、2020年がコロナ禍で第2号を作れずにいたんです。そしたらその年の夏休みに近所の小学生のお母さんが、「コロナのせいで子供たちに楽しいことがないんだよね」と言っていたのを聞きました。そこで「地域の身近な人にインタビューしてみませんか?」と提案して名山町に住んでいる子どもたちみんなでインタビューをしました。そしたら子どもたちがもっとやりたいと言ってくれて、定期的に新聞を発行しようとなって、名山新聞が誕生しました。2020年の9月から、主に名山町内に住む小学生たちと一緒に、名山町に住む人や名山町でお店をしている人に取材に行って、月に1回新聞にしてます。
パッション:
現在名山町の古民家を改修して町の博物館と町の案内所をつくられていますが、そこにはどういった想いがあったんですか?
ゆっきーさん:
名山新聞の活動を始めて2年半ぐらい経った頃に、名山町の良い所や課題も見えてきました。名山町にはお店がどんどん増えているけど、ご飯を食べて帰るだけではなくて、ここではご飯食べて、ここではものづくりの体験ができて、ここでは本が読めてというように、回遊性を高め、名山で過ごす時間を増やすことができるかもなと思うようになりました。
「名山町に行ってみたいけれどお店に入るハードルが高い」と聞くこともあったので、最初に名山町に入るきっかけとなる”案内所”があると良いなと思ったんです。他にも、名山町はご高齢の方が多くて、名山町の昔の写真や資料を持っているけど保管に困ってる人がいました。そうした資料を保存して活かす博物館を作れば、名山町の歴史を知ってもっと町を歩きたくなったり、もっと名山町で過ごすことが楽しくなったりするかなと思いました。
コミュニティ大工の加藤潤さん(右)と夫でありコミュニティソングライターの徳留将樹さん(左)
と一緒に、改修前の「めいざんち」前で。
子どもの素直な目線で自分たちが楽しみながら活動する
パッション:
現在名山新聞というフリーペーパーを発行されていますが、新聞にしたのは新聞社で働いていたことが関係していますか?
ゆっきーさん:
新聞社で記者をしていたので、取材をして書くことの楽しさややりがいは自分のベースにあります。紙の新聞をめくるのも好きですし、形として手元に残るのもいいなと思っています。さらに、名山町のまちあるきマップを作成して、何か見える形で人に渡すと喜んでもらえたという経験から、手に取ってもらえる形で新聞をつくりたいなと思いました。そして定期的に発行すると決まって、名山新聞というすごくシンプルな単語が降りてきました。
パッション:
名前からすごく分かりやすいですよね!名山新聞はどういった想いでつくられているか教えてください。
ゆっきーさん:
名山新聞は『自分たちが暮らすまちを自分たちが知る』というのがコンセプトです。自分たちがまちのことを知っていることで、何かに挑戦したい時に応援してくれる人と繋がることができたり、いざという時に助け合うことができると思っています。
パッション:
名山新聞を発行されて4年が経とうとしていますが、大事にされていることはありますか?
ゆっきーさん:
名山町内の話題を取り上げることはもちろんですが、子どもの素直な目線で活動することと自分たちが楽しむことです。子どもと一緒に取材に行くので、お店には直接関係ないことも質問したりしますが、意外と面白い展開になったりするんです。そういう可能性の芽を潰さないことや子どもたちと自由にのびのび楽しく活動することを大事にしていますね。
パッション:
子どもたちがのびのび活動できる環境はもの凄く大事ですよね。名山新聞が出来上がるまでにはどういった流れがあるんですか?
ゆっきーさん:
まずは子どもたちに集まってもらって、最初に自己紹介をしたり最近何があったかを話してもらいます。子どもたちはすごく喜んで話すんですよね。夏休み明けに集まった時は、「夏休みの思い出を教えてください」って聞くと、「1個じゃなきゃいけないの?3つ言っていい?」ってたくさん話す子もいましたね(笑)
自己紹介をした後はその日に取材に行く所を予習したり、私が知ってる補足情報を話したりします。その後は質問を最低1人1個、これは聞くぞというのをノートに書いてから出発します。質問する時は手を挙げて、自分の学年や名前を言ってから質問するのが約束事で、取材が終わると帰ってきて記事を書きます。
1人1枚小さめの紙に、自分が聞いてきたことや書きたいことを書きますが、内容が被らないように最初に何を書くかみんなで共有してから書き始めます。書いた後はみんなで発表し合って、その時に私やお手伝いに来てくれた大学生から、「もっとこんなことも言ってなかった?」「それってもうちょっと情報あったよね?」みたいな感じでアドバイスをすることもありますね。発表が終わったら私がみんなの記事を持って帰って編集します。
月に一度の新聞活動に参加する子どもは4~6名ほど
名山町・名山小以外の子が遊びに来ることもあります!
パッション:
子どもたちの字で書いてあって微笑ましいのが名山新聞の特徴でもありますよね。フリーペーパーを発行する上で大変なことはありますか?
ゆっきーさん:
子どもたちの記事を持って帰った後が大変ですね(笑)私は毎月、月末になると「今月は名山新聞が出せないんじゃないか」って心配しながら編集に追われています。子どもの取材だけだと表面は埋まっても裏面が埋まらないので、私がその月の情報やイベントを取材して書きます。やっぱり子どもたちも部活とか習い事で忙しいので、1ヶ月に1回の3時間ぐらいの活動がちょうど良いと思います。
子どもたちの手書きで書いてあるのが特徴な名山新聞(名山新聞第41号より)
もっと日常的に名山新聞の活動を
パッション:
制作はゆっきーさんがされているということで、印刷費は現在どうされているんですか?
ゆっきーさん:
印刷費は町内会と通り会と青年会から少しずつ頂いていますが、それ以外は全部自腹でやってしまっているのでそろそろスポンサー制度を始めようかと思っています。今A4サイズですが、字も小さいのでA3サイズにして、発行部数も現在の200部から300部に増やしたいと思っています。お店が増えたので新聞を置いてくれるお店も増えました。
パッション:
良いですね!これまで3年半ぐらい活動を続けていて、子どもたちの変化って何かありましたか?
ゆっきーさん:
子どもの成長でいうと、インタビューに熱心になったり、何を聞いていいか分からなかった子がどんどん質問をしていたり、鉛筆とメモ帳を持っても手が動かなかった子がしっかりメモをするようになったりしていますね。お店に行ってインタビューのメモをするだけではなくて、最初にする自己紹介も子どもがメモを取っていて、その時の仲間たちのマイブームとかがノートに記録されていくからすごく良いなと思います。新聞活動が子どもの成長や自信に繋がっているんだろうなと思います。取材に行ったお店に子どもがご飯を食べに行きたいと言って家族で行ったと聞くと、名山町内に住んでいる人が町内のお店でご飯を食べて、地元のお店にお金が落ちているのは嬉しいなと思っています。
記者紹介をした回があるんですけど、「心に残ってる取材は?」や「名山町で好きな場所は?」という質問に名山町内のお店があがるのを見て、まちの中に好きな場所ができるというのがすごく良かったなと思っています。
消防団の取材では消防服を着せてもらったり道具を持たせてもらったりと体験型の取材になりました
パッション:
素敵ですね!地域の方々の反応はどうですか?
ゆっきーさん:
ある子ども記者が、取材に行ったお店を気に入って、その後もふらっと入ってお喋りをするらしくて。そのお店の方も近所の子が気軽に来てくれるお店をつくりたかったからすごく嬉しいですと仰っていて。地域で話せる大人や立ち寄れる場所が出来てすごく良いなと思います。
あとは、「名山町のことは名山新聞で知ります!」という声があったりします(笑)「そんな全部載ってないから!」と恐縮の気持ちですが、楽しみにしてくれてるのはすごく嬉しいですよね。
「毎月楽しみにしています」や「今度新聞活動に子どもを連れてっていい?」という声も聞こえてきます。名山町に長く住んでるおじいちゃんおばあちゃんたちは、昔はどこの子というのが分かっていたのに、最近は全然分からなくてちょっと寂しいと言っていたのが、「名山新聞の活動をしている子どもの名前が分かるようになってよかった」と言ってくださるので、地域の中の繋がりもできているのかなと思います。
パッション:
それでは最後に、これからの名山新聞とゆっきーさんの展望を教えてください!
ゆっきーさん:
今までと変わらず、名山の情報を発信していけると良いですね。元々はコロナ禍で人の移動が制限されてる中で、外の人に名山に来てくださいではなくて、町内の人が名山を知って自分たちの暮らすエリアにあるお店を応援する雰囲気の醸成になればと思って作った新聞です。
そこは変わらないので、町内に住んでる人に自分たちが暮らすまちのことを知ってもらって、繋がるアイテムになればと思っています。さらに力を入れたいのは、全てのお店に私が配りにいっているので、手が回っていなくて2、3ヶ月行けていない所があるので、新聞発行から設置までをしっかりとしていきたいなと思います。でもそのゆるさもいいんだけどね(笑)
私としては、めいざんちをまちの入口となる案内所と博物館と名山新聞の編集室にするので、まちの情報発信や町のことを勉強する拠点にしていきたいと思ってます。名山新聞をこれからどうしていくかにもつながりますが、日常的に名山新聞の活動をしたいというのがあります。
子どもたちのペース的にはそれで良いけど、月に1回の活動だけでは少し足りないと思っていて。参加できなかったり用事があったりして参加できない子は活動が何ヶ月か飛んでしまうんです。
まちの取材したい所はたくさんあるので、めいざんちを編集室にして日常的に子どもも大人もそこに寄って、今日はここに取材に行こうかみたいな話をしたいですね。町内外いろんな人に関わってもらって、人と人がつながる新聞を作っていきたいです。
おわりに
「名山新聞」は、これまでゆっきーさんのたくさんの一歩があったからこそ生まれたフリーペーパーなんだということを感じました。「名山新聞」の取り組みも、これからオープンする「めいざんち」も、ゆっきーさんの名山への愛が溢れた取り組みだと思いました。これからの「名山新聞」や「めいざんち」、そしてゆっきーさんの活動が楽しみです♪
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